NPOニントップの話
以前にもニントップというボランティアグループを立ち上げた時キッカケをブログにしました。
私が初めてインド.ダラムサラへ行ったのは2007年のKIKUというTCVの子供支援をされていたグループに参加した時でした。このグループは、きくち体操のきくち先生と久保さんという方のお二人で、ヒマラヤを超えて来た子供達を支援しようと作られたグループでした。
私は家族以外の方と海外に出かけるのも初めての経験で、海外旅行に行く時に旅行説明会というのがあって、そこに行くと誰が一緒に行くのかわかるのだという事を知りませんでした。
当時「アロマルームパトス」というアロマテラピーのサロンと喫茶店をやっていて、全く自由になる時間もなく、日々家族の世話と店の営業に没頭していたので、旅行に出発する日に初めて一体誰と何処へ行く飛行機に乗るのか、チケットすら持たない私は誰と待ち合わせたらいいのかわからず、トランクを持って飛行場で真っ青になりました。
仕方なくグループ単位に集まっていそうなベンチで立ち止まっては聞き耳を立てて聞いていた「インド」とか「ダラムサラ」とか「チベット」とかいうキーワードを見つけて参加者を探し出すという恐ろしい賭けにでました。しかし、なんと3っ目のグループで、そのキーワードが全部入る会話をされていた方に出会う事ができたので、泣きたくなるほどホッとしました。前日まで38度を超える熱を出し、家族から36度台に下がらなかったら旅行はキャンセルしなさいと言われ、必死で熱を下げて空港まで辿り着いたのに、誰と行くのかわからないまま出発ロビーまで行ってしまった自分に、世間知らずとは自分の事だと思い知らされた出発となりました。
羽田からデリーまでひたすら後部座席に横になり(ラッキーなことにすごく空いていて、一番後ろは全部空いていました。)ひたすらオレンジジュースと水を貰って7時間半寝て過ごしたおかげで、デリーに着いた時にはすっかり元気になっていました。
そこから、バスに乗ったり電車に乗ったり、最後はタクシーでディズニーランドのジェットコースターに乗っているかのような坂道をグングン登って、やっとダラムサラの町まで26.7時間かけて辿り着いたのです。
今は10時間で舗装された道を一気に走れますが、16.7年前は何度もパンクしながらすごく長い時間をかけて町を目指したものでした。 滞在中何回か訪れたTCVの子供達が、目の前に聳え立つヒマラヤ山脈を歩いて逃げて来たのかと思った瞬間、どーっと涙が溢れてしまった事は今でも忘れられません。
子供達と触れ合い、老人ホームで老人達の祈る姿に感動し、ニントプリンという障害者施設で皆さんにマッサージしながら、入所者の皆さんにマッサージを教えて欲しいと懇願された時、私の使命を突きつけられたような感じがしました。「ニン」「トップ」「リン」チベット語で「心の燈の家」という意味だと聞いて、私が活動するなら「ニントップ」にしようと決めました。
これがNPOニントップの名称に決めた理由です。
何とか仲間を増やして20人くらいの賛同者が集まったところでNPO法人の登録をしましたが、その後仲間が一人減り二人減り、とうとう今では一人で活動しているので、NPOはほぼ壊滅しています。
そしてコロナがやって来ました。活動出来なかった3年間で、育ち始めたTCVの子供支援、クリニカルボディケアマッサージの講習会、オーガニックコットンの布ナプキンを学生に広げる活動、TCVの子供達のおやつにしたいと果樹園プロジェクトを始めたままになってしまった友人の畑作り、そして日本とインドの文化交流から生まれた、フラワーアレンジメントの地域活性化活動など、一人では手に負えなくなりつつある、ニントップの活動になりました。
ダラムサラ近郊に住んでいる日本人の主婦達にご協力頂きながらぼちぼちと頑張っているのです。
今年7月6日のダライ・ラマ法王様のお誕生日祝賀祭では、日本からライアー奏者の池末みゆき先生と生徒さん達を含む皆さん17名が、法王様の前で奉納演奏される事になりました。私も法王様のお誕生日祝賀会レセプションルームや法王様の近辺にお花を献上させていただきます。
これ程名誉な事はありません。皆様の祈りのお気持ちと共に御奉納させて頂くつもりでおります。
どうぞ、一緒に献花されたいと思われる方が居られましたら、ぜひご連絡下さい。花籠にお名前を添えて御奉納させていただきます。どうぞ宜しくお願い致します。