クライマックス 2023
7月4日の朝、国際情報 部大臣事務所から連絡が入りました。
7月5日朝ダライ・ラマ法王様との謁見が決まったとのこと。
午前9時30分からの開始なので6時15分にはホテルを出発することを全員に連絡したあと、4日のスケジュールをこなしていくことになります。
今日は各関係大臣の表敬訪問と
秋田市立市民総合病院様からお預かりした装具などを、現地のデレクホスピタルへお届けすること
朝8時にそれぞれのホテルから準備して出発し
まず国際情報部大臣Kalon(Minister)Norzin Dolma氏との表敬訪問です。
こちらも女性大臣で、知的ではっきりと物をおっしゃる方でした。
会場には舞台が組まれマイクが用意されていましたので、大臣のご挨拶があるのだろうと思いましたが、ラジオ局やテレビ局のカメラが何台も準備されて取材されたのです。
大臣の歓迎のご挨拶の後、中国本土のチベット自治区で一体何が行われているか、どの様な歴史的背景があり、チベット人は何を望んでいるのかというお話を伺ったあとで、今回私達がダラムサラを訪れた理由や、私達が日本でどの様なことをしているのかなどを簡単に紹介し、何人かがチベットTVやチベットラジオなどの取材に答えるなどしました。
私も取材されるなどという経験がない為、しどろもどろでインタビューに答えましたが、だいぶ経ってからもう少し丁寧な答えができなかったものか、と反省しました。
次にチベット亡命政府防衛大臣で、今回私達の切望した池末みゆき先生の御前奉納演奏の全ての実現に御尽力頂いた Kalon(Minister)Gyari Dolma氏に表敬訪問を致しました。
素晴らしいと人物であり、しかもこれほどの政府の重鎮が女性である事に強い憧れと女性として、母としての安心感を抱かせてくださる方でした。チベット人の社会が中心で支えてきたことを目に見えるお立場で示されているような大臣でした。
会議室で美味しいドーナツとお茶をいただきながら体調のご心配や何か問題は無いかと気を使っていただきながら、ゆっくり30分ほどの交流のお時間をいただきました。
午前のスケジュールを無事こなした後、亡命政府の官庁ビルの向かい側に建つDerek Hospitalに日本の皆様からご寄付していただいた装具の数々をお届けしに行きました。
これは私のインドでの活動に賛助してくださった友人達からの思いのこもった装具の数々で、今回池末先生のお仲間たちが手分けして運んでくださったものです。これについてはまた改めて書かせて頂きますが、無事病院へお届けすることができて安心しました。 コレで4日の予定は終了したので町へお土産を求めて解散しました。
7月5日!いよいよダライ・ラマ法王様と謁見する日です。
残念ながら、体調を崩された方がお一人謁見をキャンセルされることになりましたが、早朝6時15分に宿泊先のホテルからツクラカン(法王様のお住まいのあるお寺)に向かって歩いて行きます。まだ町は静かで、お寺を目指すチベット人やインド人がパラパラと歩いているくらいです。
雨季のため町にはしっとりとした雲がたなびき、風に雲が押し流されて行くのが見えます。法王様の数え88歳という大変におめでたい祝賀祭に遥々20名の方をお連れする事ができた事、日本におられる防衛大臣のお兄様お姉様、ダライ・ラマ法王事務所チベットハウス日本代表事務所の代表を務められるアーリヤ氏の御尽力にも深く感謝しながら、一歩一歩ツクラカンへ向かって坂を下って行きます。お寺の入り口に着くと今度は階段を上がって上の広場に向かいます。途中に荷物検査所があり、御数珠と最低限の貴重品と、法王様にご祈祷して頂きたい仏像や仏画、その他を抱えて広場を進みます。
この時携帯電話やカメラの持ち込みは禁止されていますので、ホテルに事前に置いて行くか、全ての手荷物と一緒にセキュリティに預ける事になります。
ダライ・ラマ法王様の生活されていらっしゃる建物の正門に向かって右手に、セキュリティスタッフルームがあり、ここではパスポートと身体検査と荷物預かりがあります。ここを通過すると、グループ毎にまとまって謁見の順番を待ちます。朝8時を過ぎても薄暗く曇った通用路の坂道で順番を待っていると、冷たい雨が降り始め何となく心細い様な待ち長い時間となりました。
やがて前方から長い列が進み始め、ちょっとワクワクしながら法王様のお顔がのぞけないものかと背伸びしたり、お隣同士で小声でお話したり1時間ほど小雨の降る中で並んでいました。
やっと前のグループの集合写真が終わると最後の最後に私達御前奉納演奏グループの番がやってきました。ダラムサラの現地で出会ったチベット人で元僧侶のゲレックさんをはじめ、チョントラTCVの日本語の先生をされているタシさんが私達の通訳をして下さいます。法王様からお一人ずつ握手してお声をかけて頂き、溢れてくる涙に自分も感動しながらお誕生日のお祝いの言葉を申し上げ、法王様へのプレゼントに日本中から集めた御線香と、法王様のお好きな白いかりんとうを北海道からお持ち下さったツアー参加者のお土産と、何日もかけて仕上げたお誕生日の花束を法王様に献上させていただきました。
最後には般若心経のお経を御唱和させて頂いて僅かでも貴重な謁見の時間を過ごす事ができました。
池末先生は集合写真を撮られた後もまた法王様よりお声をかけられ、労いの言葉をかけて頂いたのだそうで、深く感動されておられました。
感動も覚めやらぬまま、一度解散し5時にまたツクラカンへ集合することになりました。
夕方からはお寺の前庭の祝賀会場に50杯のフラワーボックスを飾り付けなければなりません。
同時に正面の御仏堂に大きな花を献花していきます。半月ほど前にデリーのフラワーショップで購入していた1.2mほどのハスアートフラワーと足元に添える花を活け込んでいきます。
この時地元のインド人の方やツーリストの方、今回の奉納演奏のグループの方々など、沢山の方が協力して下さりワイワイガヤガヤ楽しく盛り上がって会場に花を添えて行きました。
何よりの幸せと笑顔が、平和や祝福の気持ちや、何より感謝の気持ちに溢れた素晴らしい時間を作り出してくれたのが、本当に素晴らしい空気を生み出していました。
お花と音楽を仏様に捧げるということが、何よりの御供養ですとツクラカンの会場設営担当のお坊さんからも感謝されました。このダラムサラでダライ・ラマ法王様の生誕祝賀祭については昨年11月より極秘で準備して参りましたので、私一人で花を仕入れて箱詰めし、インドに送り、毎日修行僧のように朝8時から夜9時頃までコツコツと花籠を作り続け、ご希望のあった方だけボックスの裏にお名前を書いて会場に飾らせて頂きました。インドへ行きたくても行けない方々、特に日本にお住まいのチベット人の方々の代わりに花を献花させて頂けたら嬉しいなぁと密かに祈りつつこの日を迎えたのです。本当に有難い人生で二度と無い貴重な体験をさせて頂いた事に深く深く感謝いたしました。
4日の日に表敬訪問した防衛大臣のお名前を入れずに送信しています。こちらがお名前です。 Kalon(Minister)Gyari Dolma氏になります。Kalonは役職を表しますが、入っていた方が良いかと思います。先にお会いしたNorzin Dolma氏もKalon(Minister)になります。Kalonはチベット語の大臣という意味ですね。 すみませんが、ゲリ・ドルマさんのお名前を入れて下さい。
では、いよいよ7月6日の本番です。
7月6日も、相変わらずのどんよりとした雨季の朝から始まりました。
いつ雨が降り始めてもおかしくない空模様に、ツアー参加者の皆さんは傘やレインコートを用意して、9時の開場にあわせてホテルを出発して行きます。もう今日は町中ウキウキお祭り気分で、押し合いへし合いひしめき合うように町を人が歩いて行きます。皆さん着飾って女性は色とりどりの民族衣装であるチュパというジャンパースカートに身を包み、男性はまた男性用の長袖シャツに厚手のウールの着物の様な上着を着て、法王様のお寺に向かいます。2万人入るらしいのですが、お寺の広場は重なり合うように人がゴザに座って祝賀祭の開始を待っていました。
さまざまな御招待客や地域の代表の方達のご挨拶の後チベット亡命政府代表のペンパ・ツェリン主席大臣のお祝いの言葉があり、チベット本土の部族毎の歌やダンスの披露が始まります。池末先生は9番目の演奏でした。
実は法王様ははじめの30分ほどをご覧になった後はお部屋に戻られてしまうのが常なので、9番目の出演では法王様のいらっしゃらない場での演奏になってしまうのではないかと、緊張で座って居られない気持ちていました。
ところが、一番大切なインドの州知事(ヒマーチャルプランデッシ州の知事だと伺いました)の到着が遅れた為に、池末先生の演奏まで会場に滞在されるという、奇跡的な時間を用意して頂く事が出来たのです。凄い事だと、仏様のお力に感謝しました。
この日も携帯電話の持ち込みができないので、写真は一枚もないのですが、全世界に向けたチベットTVが LIVE放送しましたので、後日その映像からスクリーンショットで何枚か写真を撮りました。
午後2時頃にランチタイムになり、会場からホテルへ戻ってすこしリラックスした後、再び防衛大臣秘書の方から連絡があり、晩餐会をTIPAというチベット伝統芸能学校で用意しますのでそちらにお越しいただきたいというお誘いを受け、今度は町から少し山を上った場所にある学校へ向かいました。
こちらの学校長をされていらっしゃる先生は、以前障害者施設「ンゴンガスクール」で施設長をされていた方でしたので、10年ぶりくらいに再開できてお互いに懐かしくご挨拶させていただきました。私のテーブルにはダライ・ラマ法王の妹さんであるゼツィン・ペマさん、防衛大臣、情報国部大臣、など錚々たる顔ぶれの方達がお席についていらっしゃるテーブルで、私は緊張のピークの中チベット料理を頂いたのでした。
そもそも私がチベット亡命政府を何度も訪ねてマッサージを教える様になったのは、2007年に初めてインドのダラムサラを旅行して、障害者施設「ニントプリン」でマッサージした事を、ゼツィン・ペマさんに声をかけて頂き、「3ヶ月インドでマッサージ教えてくれませんか。5ヶ所のTCVスクールと、私の友人が運営しているネパールの老人ホームに行って教えて欲しいの。」と依頼された事がきっかけでした。
ゼツィン・ペマさんは、チベット人が皆母と慕う存在で、私も一眼でこの方の希望を叶える為のお手伝いがしたいと思い、もう17年ほどインドに通っているのです。TCVの運営が全て全世界からの寄付で賄われていることから、私はこれまで一度も現地で講習料や施術代をもらった事がありません。私の教える技術で、身体に不調のある方を癒せる専門家が育つなら、どれほど他人の役に立てるだろうかという想いだけで一年の内の5ヶ月近くをインドでマッサージを教える生活になったのです。
いつもインドへ笑顔で送り出してくれる私の家族には感謝するばかりです。 というわけで、大事な使命を頂いた最高の時間を与えて下さったすべての人とダライ・ラマ法王様に深く感謝いたします。ありがとうございました。